さあここからは怒涛の30代編!音楽からは遠ざかるわカラダはブッ壊れるわでいよいよ人生ドン詰まってきた達磨・30歳の春・・・それではスタート!!
「もうダメだ・・・死ぬかもしれんなマジで」という独り言が板についてきた30歳の春、前年から入退院を繰り返していた嫁のお父さんが亡くなった。これは、生前とても可愛がってもらった自分にとっても大きなショックであったが、何よりも実の娘である嫁のショックはそれ以上であったろうと思う。その辺の詳細は個人的なことなので省くが、とにかくそういうことがあっただけに、ますます達磨は自分のカラダのことなど言い出せない感じの立場に陥ってしまったのであった(笑)
どんどん話がへヴィになってしまって申し訳無いが(笑)そんなこんなでひたすらガマンし続けたその年の夏には食欲も皆無、時には食べたものを吐いてしまったりしていたのだが、嫁には「夏バテだよ〜」とか言って強がっていた。・・・しかしさすがに嫁も馬鹿ではない。とある夏の日、「今から一緒に病院行こう。行かないって言うなら別れよう」と宣言され、そのまま首根っこを掴まれた猫のように病院に連れ込まれたのであった。
「まあタダでは済むまい」と覚悟していた通り、検査に次ぐ検査、いよいよウチでは手が負えんということで三鷹の杏林大病院に回されそこでも更にまた検査の嵐!当然会社への復帰など見込めるわけも無く「休職」扱い。まあその頃はもう会社のことなどどうでもよくなってしまっていたが(笑)とにかく1ヶ月以上に及ぶ検査の結果、「右腎盂結石肥大による腎機能低下」という診断結果が出た。よくある「尿管」結石とは違い、腎臓の奥深くの部分に大きな石が出来てしまい、腎機能が著しく低下している状態だ。それも赤ちゃんのこぶし大ほどの大きさの石、なのであった・・・
しかもその検査の際に、自分は生まれつき左の腎臓が無いことまで判明!!何故そこに至るまでその事実が発覚しなかったのかは今以て不明で、先生も「生まれつき、なのかそれとも徐々に退化して消滅したのか(←何万人かに一人でそういう症例もあるらしい)・・・」と首を捻るばかり。とにかく、左腎臓が無い、ということは通常の腎臓手術の様に「片側を生かして手術」という策が取れない、ということを意味する。つまり手術中に出血等の理由で腎機能が止まってしまったら速攻で「人工透析生活」に突入するということ(そういう場合、通常なら左を生かして右は摘出してしまったりするそうだ)。これは怖い。
怒涛のように押し寄せる「いま自分の体に起きている危機・事実」を脳で処理しきれず、医師の説明を聞きながら吐き気を催したのを今でも覚えている。まさに「ドン詰まった」・・・そんな言葉を噛み締めた日であった。
とにもかくにも手術を、ということになり、生まれて初めて本格的な手術というものを体験した。手術は初回先生達が10時間にも渡る長丁場を頑張ってくれたが、石の全ては取り切れずに途中終了。全身麻酔からの目覚めの苦しさと、背中と股間に管を突っ込まれて縫われている状態の辛さは未だに夢に見てしまうぐらいの苦しみであった。
それからの毎日は、管まみれの自分の体をベッドに横たえながら病院の白い天井を眺めながら2回目の手術を待つ日々・・・その時、痛烈に「オレは今の今まで何をやってきたんだ!何も残せてないじゃないか!」と心の底からそれまでの自分の中途半端な生き方を呪った。結局仕事も、音楽も中途半端だったのだ。いつも途中で投げ出して、自分の都合のイイように逃げ回ってきた結果なのだ。その事実を強烈に突きつけられた形であった。誰のせいでもない、自分が招いた結果なのだ・・・そして、同時に「やっぱりオレはギターに人生を捧げたい!音で生きた証を残したい!」とも・・・本当に痛切に痛烈に、思った。なんだか泣けて泣けてしょうがなかった。痛いよチクショウ、痛いなあ、と思いながら、達磨は泣いた。
その後、2回目の手術を以って我が腎臓は何とかこの修羅場を乗り切り、復活。幸いにも人工透析という事態に陥らなかったのは丈夫な体に産んでくれた母に感謝、というところであろう。腎臓も正常に戻り、晴れて退院して見上げた空には、もう木枯らしが吹いていたのであった・・・
・・・おいおい、全然笑うトコ無えじゃねーか!大丈夫か達磨!!1-A完全に出番無しだし!!(笑)さあ、ようやく長い暗黒時代に別れを告げて、ギタリストとして生きるという信念を取り戻した達磨は、ここから如何にして現在に至るのか!?次回、いよいよ最終章・「火の鳥・復活編」に突入!遂に「火の鳥」って言っちゃったよこの人・・・www
[fLat-Limited.]
2010年02月23日
不定期青春大河浪漫小説「アイツとオレはペンタトニック」8
posted by AREA49Records エリア49 at 10:26| 不定期青春大河浪漫小説